※このホームページのデータは2006年12月1日現在のものです。



昭和の森
芝生の上でおもいきり遊ぼう
下総台地の高台にあり、約100haの広大な面積を誇る公園。海抜101mの展望台からは九十九里平野と、その向こうに広がる太平洋が一望できる。公園は、梅林、サクラの花見所、ツツジの名所としても知られている。芝生が広がる“太陽の広場”や、アスレチックや遊具が揃う“冒険の広場”は子どもたちに大人気。平成18年には全長109mの林間大型滑り台“ローラーすべり台”がオープンした。また、豊かな自然の中で四季を通じて植物、野鳥、昆虫などの自然観察ができ、宿泊、スポーツ施設なども完備した総合公園として「日本の都市公園100選」に選ばれている。
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善勝寺
“土気城”の一角をなした
外房線「土気トンネル」の北側には戦国時代“土気城”があり、ここは“善勝寺砦”とよばれる土気城の一部であった。元は真言宗の寺であったが、酒井定隆の入城とともに発した“上総七里法華”の命により、日蓮宗に改宗した。その後、豊臣秀吉の小田原攻めで土気酒井氏は滅亡した。本堂左の古い墓石は、後に徳川家康により旗本として取り立てられた酒井重治らの墓と伝えられている。
善勝寺
恕閑塚(じょかんづか)
江戸幕府支配の歴史
江戸時代、日蓮宗“不受不施派”と同様に幕府から弾圧の対象とされた“日経門流”の僧侶らが処刑され、埋葬されたところ。恕閑とは、そのときの僧日浄の号。近くには処刑に使用した刀を洗ったといわれる「刀洗池」の跡がある。不受布施派とは、妙覚寺の僧侶、日奥が唱えた宗派で、僧は法華経信者の供養は受けず、信者は他宗に施してはならない、というもので、江戸時代初期に幕府により弾圧を受けた。
恕閑塚
おゆみ野春の道
桜並木のお散歩コース
駅からおゆみ野地区をぐるりと一周する、「四季の道」と呼ばれる遊歩道がある。春・夏・秋・冬の4つの道を全部あわせても6kmほどのコースだが、サクラ、イチョウ、ケヤキなどが植えられ、四季折々の散策が楽しめる。なかでも、サクラの頃の「春の道」がおススメ。並木道はピンク色のサクラの花に包まれて、華やかな散歩道になる。
おゆみ野春の道









