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昆陽神社・甘藷試作地
サツマイモ試作に成功
幕張駅のすぐ近くに「青木昆陽甘藷試作地」(県指定史跡)を記念する石碑が建っている。江戸時代中期、青木昆陽は江戸に生まれ京都で儒学を学んだ。その後、救荒作物としての甘藷に注目して本を著し、八代将軍吉宗に認められ試作を命じられた。その試作地の一つに選ばれたのがここ馬加(まくわり)村。以後、甘藷の栽培が普及して天明や天保の大飢饉にも餓死するものがいなかったという。神社はそのことに感謝して土地の人々が弘化3年(1846年)に建立、社殿は近年建て替えられた。
昆陽神社・甘藷試作地
子守神社
“三山七年祭り”の子守り役
子守(こまもり)神社は建速素盞鳴命を祀り、千葉市から船橋市にかけて行われる三山七年祭り(県指定無形民俗文化財)の大祭に参加する。丑年・未年の11 月行われる祭りにおいて、それぞれの神社には夫婦や乳母などを象徴する役回りがある。ここはその名のとおり子守り役をつとめる。
子守神社
三代王神社
“三山七年祭り”の産婆の役
天種子命を祀り、安産の神様として信仰をあつめてきた。ここも子守神社と同じく七年祭りに参加し、出産の時のお産婆さんの役割を担う神社。十二座の神楽が伝えられている。
三代王神社
真蔵院
武石氏の菩提寺
武石氏は鎌倉幕府の草創期に活躍した千葉常胤の3男胤盛が、武石の地を伝領したことからおこった。その菩提寺の境内には、高さ3.31m秩父産緑泥片岩を使った永仁2年(1294年)銘の武蔵型板碑が残っている。裏手の台地上には「武石館」があったという。
真蔵院
大須賀山
林の中に五輪塔
小高く木々が茂った中に、馬加康胤の首塚があると伝えられている。康胤は馬加地域に本拠を持っていた千葉氏の支族。享徳5年(1456年)、千葉一族同士の争いに敗れて討たれた。
塚の上に建つ塔は江戸初期のもの。
大須賀山







