※このホームページのデータは2006年12月1日現在のものです。


袋公園
風が心地よい池めぐり
干拓でできた水田のために、灌漑用水として残された「袋池」。池を囲むように約1400mの遊歩道が続き、その周りには約500本のサクラが植えられている。満開のサクラの下をのんびりと歩きながらお花見が楽しめる。4月には桜まつりが開催され、湖上を泳ぐ80余匹の鯉のぼりが色を添える。
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海宝寺
「椿の海」ゆかりの椿の花
椿の海の干拓地にできた18ヶ村の、豊作祈願のために造営された寺社のひとつ。真言宗の寺の境内には、約300本の椿の木が植えられ、早春の花を愛でに訪れる人が絶えない。また樹齢100年を超えるサクラの古木も見事。全長200mほどの「八十八ヶ所」めぐりの石碑がある。
海宝寺
鎌数伊勢大神宮
「干潟八万石」の守護神
椿海を干拓した周辺、匝瑳・海上・香取の三地方にまたがる神社。毎年3月27・28日の例大祭で、豊作と平穏を祈る「神楽」が奉納される。12座の舞と2座の稚児舞で、千葉県の無形民俗文化財に指定されている。境内には、かつての特産品、落花生栽培の由来をしるした「落花生記念碑」(市文化財)が立っている。
鎌数伊勢大神宮
東漸寺
“旭”という地名の由来
戦国武将の「木曾義昌供養塔」がある。義昌は、朝日将軍とよばれた木曾義仲から19代目といわれているが、天正18年(1590年)信濃から下総に移封されて「網戸城」に居城した。後、この地で亡くなり、椿海に水葬されたと伝えられる。寺は城跡の一角にあり、近くには「木曾義昌史跡公園」がある。ちなみに“旭”の地名は木曾義仲の朝日将軍に由来すると共に、野々口隆正の義昌追悼の短歌中の「旭」によるといわれている。
東漸寺
椿の海の干拓
かつてこの地には、東西12km南北6kmの広大な「椿の海」があった。寛文9年(1669年)、江戸の幕府大工頭らが“鉄牛禅師”を擁して干拓事業の許可を得、難工事の末完成させた。その時誕生した水田が、「干潟八万石」。掘削した川が、旭市内を貫通する「新川」。







